今週の一冊 第9


今週の華族問題

 丁度その時こつこつと戸を叩いて、秀麿の返事をするのを待つて、雪が這入つてきた。小 さい顔に、く りくりした、漆のように黒い目を光らして、小さくて鋭く高い鼻が少し仰向いてゐるのが、ひどく可哀らしい。(中略)雪を見た秀麿の顔は晴やかになった。エ ロチツクの方面の生活のまるで瞑つてゐる秀麿が、平和ではあつても陰氣なこの家で、心から爽快を覺えるのは、この小さい小間使を見る時ばかりだと云つても 好い位である。
 「綾小路さんが入らつしやいました」と、雪は籠の中の小鳥が人を見るやうに、くりくりした目の瞳を秀麿の顔に向けて云つた。雪は若檀那に物を言ふ機会が 生ずる度に、胸の中で凱歌の聲が起る程、無意味に、何の欲望もなく、秀麿を崇拝してゐるのである。

森鴎外『かのやうに』(鴎外全集)岩波書店

 森林太郎というのはなかなか偉そうな人です。作品中にも「啓蒙主義的な高飛車な態度」をしばしば伺うことが出来る、と評されています。俺様は一般大衆と は違う高尚な人物だぞと。だからといって十六七の舞姫に孕ませて、それ放置して日本に帰って来ていいってもんじゃないでしょう。おまけに日本まで追っかけ られるし。船客名簿を調べた人によると、事実ではエリスじゃなくて「エリーゼ」だそうです。
 それはともかく、『かのやうに』ですが、これは大逆事件の翌年書かれた作品で、無政府主義のような新たな思想の流入に旧来の支配階級は如何に対応すべき かという時代の許、山県有朋の要請もあって書かれた作品だそうです。内容はといえば、ドイツに留学して近代合理主義を学んだ五条家(子爵)の若様秀麿が、 帰国して日本の伝統思想を体現する父と微妙な思想的対立関係になり、「父と妥協して遣る望はあるまいかね」と友人(これも外遊した華族)に相談して「駄 目、駄目」と言われるところで終わります。そういう思想的作品なのですが、そこで分からんのが上記引用部に出てくる、小間使いの雪ちゃんの役割です。さら に『かのやうに』は続編もあって雪ちゃんも再登場します。こだわりのあるキャラクターのようです。
 この作品では、秀麿と父と母と友人がいれば、思想的な問題を描くのに充分なように思えます。では若檀那を崇拝している雪ちゃんは何を、あるいはどういう 階級を象徴しているのでしょうか。これは来年の研究課題に回しますが、もしかしたら鴎外は「小柄で目のくりくりした小間使い萌え」ではないかという疑惑 が。いや、『鶏』という短編にも「くりくりした目」の下女が出て来て、彼女だけが他の使用人と違って、檀那様である軍医(≒鴎外)の物をくすねないんです ね。うーん、怪しい。

(2002.1.4.)

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