今週の一冊 第19


今週の出会い

 「檀那樣御飯(原文「飯」は旧字)がで きましたが」 と言ふ聲に、びつくりしてあたりを見廻すと、日はいつか暮れかけたと見え、座敷の中は薄暗くなつて、風が淋し氣に庭の木を動してゐる。立つて電燈を點じる 足元へ茶ぶ臺を持ち運ぶ女の顔を見ると、それは不断使つてゐた小女ではなくて、通夜の前日手不足のため臨時に雇入れた派出婦であるのに氣がついた。
 年は鳥渡(ちょっと)見たところ二十五六かとも思はれる。別にいゝ女ではないが、圓顏の非常に色の白いことゝ、眼のぱつちりとして、目に立つほど睫毛の 濃く長いことが、全體の顏立ちを生々と引き立たせてゐる。

永井荷風『ひかげの花』(日本現代文學全集33)講 談社

 永井荷風は独身生活を送り、自炊していて下女などもあまり置かなかったという徹底した個人主義者でしたが、これは下女ならぬ派出婦が登場する小説。元妾 で旦那の財産を貰った女性のヒモをやってた主人公が、その相手の女性が亡くなってどうしようと頭を抱えている時、臨時に雇った派出婦に一目ぼれ。同棲しま すが、故・元妾から貰った遺産が昭和恐慌でなくなってしまい、生活に困って元派出婦の現同棲相手を私娼にして・・・てなお話。花柳界を描いた『腕くら べ』、女給が主人公の『つゆのあとさき』に続く作品です。引用部はその二人の運命の出会いシーンなのであります。「檀那樣」という呼びかけが面白いので引 用しました。あと余談ですが、荷風の日記『断腸亭日乗』にも少しは女中ネタがあり、「近所に住んでるオーストリア人は日本人の下女と結婚した」とか、そん な話も載ってます。

(2002.3.15.)

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