今週の第二帝国 当時(注:19世紀ドイツ)工場で働いていた女たちの状況は、もっとずっとひどかっ た、女 中の場合はそれでもある程度は家に守られていたし、充分に食べるものもあった、それに分別ある善良な主婦もまた確実に存在したはずだ、こう反論することも できるだろう。だが〔問題は、〕社会システムがこの集団の地位低下を招いたのだということ、そしてそれによって同時に、女中たちの質自体をおそらく低下さ せたのだ、ということである。(中略) シャーロッテ・ヴェールクは1969年になって、ある文芸欄でこう安心の溜め息をもらしているのである。 「もう二度と、不安そうな田舎娘が旅行かごを手に、煙で黒ずんだ駅のホールに立ちつくすこともないだろう。もう二度と、『奥様』連が彼女の体力や能力を 非人格的に吟味することもないだろう。そしてもう二度と、こきつかわれた一日のあげく冷たい、明かりもなく、空気もとおらない小部屋で安息のない眠りにつ くこともないだろう、」と。 I・W・ケラーマン(鳥光美緒子訳)『ドイツの家族 古代ゲルマンから近代−』勁草書房 先週は第三帝国だったので、今週は一つ溯ってドイツ第二帝国のメイドさん、ドイツ語ではマークトというそうですが、そのヴィクトリア朝と同時期のドイツ に関する記述を引用してみました。本書は表題の通り、家族の有様を通じてドイツの歴史を述べた本です。「19世紀の『小家族』」という章に「女中たち」と いう節があり、そこから引用しました。19世紀市民社会といっても、英国とドイツではその形成ぶりにいろいろな相違点があります。一般的に言えば、フランス革命を一つの頂点とする市民社会の 発展は、前近代の大家族を解体し、より自立した個人を形成するもののはずです。しかしドイツでは、大家族を解体しても、「小家族」が家父長的な新たな権威 のもとに再編されていったのでした。硬直化した、あるべき道徳的な家族像というドグマがはびこり、男女の役割分業は融通を全く失ってしまいました。その結 果、「女性の仕事」というのは市民社会に於て嫌悪されるようになり、かくして家事には使用人を雇うことがその社会では必須とされながら、同時にメイドさ ん、いやマークトさんの地位の低下を導いたのでした。 他にも、クリスマスにサンタクロースが登場してくる過程など、一々紹介するには紙幅が足りませんが、いろいろと学ぶところの多い一冊です。なお本書 126ページ所載の絵・「ベルリンの女中たち」には三人の女中の姿が描かれています。その中の真ん中の女中の姿は、我々がぱっと思い浮かべる「メイドさ ん」にかなり近い姿です。 (2002.6.30.) |