今週のカール・マルクス 個人的興味の観点では、その後(引用注:ロンドン亡命後)のマルクスには長い起伏の少 ない 人生が待ち受けているに過ぎない。一家は貧困の生活を強いられた。追い立てられ路傍をさまようこともあった。生まれた男の赤ん坊は死亡した。この頃マン チェスターで父親の工場の一つを経営していたエンゲルスは、金銭を渡してマルクス一家の生活を援助した。(中略) マルクスはロンドンで共産主義者同盟に参加し、やがて「裏切り者」の粛清という得意の活動に没頭しはじめた。その間、さらに二名の子供が死亡した。一 方、メードのヘレン・デミュートという女性がマルクスの種を宿した。しかし、マルクスは革命の指導者としての威厳を保つため、父親はエンゲルスという話を 言いふらした。 コリン・ウィルソン(関口篤訳)『世界残酷物語』青 土社 先週に更に引き続いてドイツ系のお話。コリン・ウィルソンは『アウトサイダー』などで名高い作家ですが、本書は人類の歴史を創造性と犯罪性の相克という 独自の観点から叙述したものです。表題から連想されるような、ただ単にえぐい話を集めただけの本ではなく、全体を通じての一貫性があって面白く読ませます が、まああんまり鵜呑みにするのもどうかという節はあります。さて、先週、19世紀ドイツでは、「あるべき道徳的な家族像」がドグマと化し、女性が働くことが嫌われてメイドさん(マークトさん)の地位低下を招いた ということを書きましたが、別な面でこのドグマが必然的に齎した結果として、あるべき家族像に背くような行為は指弾されるということがあります。代表例は 離婚ですが、結婚によらない子供もまたその一つでした。先週紹介の『ドイツの家族』は、マルクスのこのエピソードについて、こう述べています。 当時の市民的家族秩序は、これほどの社会的政治家にとってさえ、自由な生活をさまたげる動かし難い壁と映っていたのである。というわけで、メイドさんに生ませたフレデリックを、マルクスは生涯認知しませんでした。それだけ家族に関する観念が強固だったということですが、「路 傍をさまようこともあった」生活でもメイドを必要としたということも、やはりこの種の観念に由来するのでしょうか。 なお、数点マルクスの伝記に目を通しましたが、それらの本ではヘレン・デミュート(デムート)の肩書きは「家政婦」となっていました。写真もあったけ ど・・・まあ、「家政婦」かな・・・。 (2002.7.7.) |