今週の一冊 第42


今週の殺人事件

こうした(召使が雇い主を殺した)事件がきっかけとなって、雇い主は召使いの欠点により 寛大 になり、呼んで答えなくても、真鍮磨きがしてなくても、ローストビーフが生焼けでも、叱りつけたいところをじっと我慢するようになった。何の根拠もなくと も、とにかく召使いたちはみんな満足している、女中やそれに下男の顔にさえたまにうかぶ奇妙な表情は、彼らの心の内をあらわすものでなく、あまりこってり したものを食べ過ぎて消化不良を起こしたためだ、という安心感を得るためなら、彼らはいくらでも寛大になった。それでも、お父さんは宗教小説を朗読し、お 母さんは針仕事、子供たちは部屋のそこここで無邪気に遊んでいる、といった夕食後の今での一家団欒を描いたヴィクトリア朝の古風な趣の絵を見る時、彼らの 心の奥底にはいつも不安がつきまとっていたにちがいない、とどうしても考えたくなる。そう、絵の背景にちらりと姿を見せる、きちんと帽子をかぶった女中 は、心の中でどんな凶悪なことを企んでいるのだろうか、といった物騒な疑問が心をかすめるのだ。

R・D・オールティック(村田靖子訳)『ヴィクトリ ア朝の緋色の研究』国書刊行会クラテール叢書

 ヴィクトリア朝のイギリスにおいて、殺人事件がどのように人々の関心を引いていたか、メディアの発達史と絡めつつ、具体的な事件の解説を交えて叙述した 本です。様々なタイプの殺人事件が取り上げられていますが、その中で特に「召使いには御用心」として、召使が雇い主を殺してしまった事件の説明に一章を割 いています。何例かの事件が挙げられていますが、もっともページが費やされているのはケイト・ウェブスターという女性。もともと手癖の悪い人間だったよう ですが、雇い主の気難しい老婦人と口論した挙げ句撲殺、死体をバラバラに切り刻んで茹でて捨てたという事件です。こうした事件が起きる度に、全国のご主人 さま方は不安で夜眠れなくなったそうですが、こういう事態に至るのはやはり雇い主側にも幾分か問題があった場合がほとんどのようです。

(2002.8.18.)

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