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今週の一冊 第49


今週の潔癖症

 福岡県某市某銀行員妻松田清子(当年三十二歳)は、さる片田舎の裕福な農家に生れ、某 高等女学校中途退学、二十一歳の時現在の夫に嫁ぎ、今では十歳を頭に五人の子供の母親になっている。
 彼女は非常の潔癖家で、附近の評判ものになっている。その一斑を挙げると、(中略)
 一、同家では、その使用の場所と物件とによって、その用途を差別するため、十枚の雑巾と、八個の亀子だわしとを常に用意してある。しかも住宅の間数は僅 に三室である。
 一、冬期になると、座敷と台所と土間とで使用する足袋が厳然と区別されて、上は御主人公
(原文ママ)か ら下は女中に至るまで、常に三足づつ用意されている。女中等は、土間から台所へ、台所から座敷へと、出入毎に一々足袋を穿き替えねばならぬことの面倒を 厭って、大抵は一度土間に下りたら、寝る時まで上にあがらないことにしている。尤も主人の部屋には、いかなる用件があっても、女中は絶対に入ることが出来 ない掟になっている。(中略)
 一、こうした彼女の潔癖は、遂に町内一般の風評となって、今では、女中の雇入れにも中々応募者がなく、余儀なく彼女が一人手で台所から一切の雑用をして いる。従来同家にいた女中も、早きは三日、永くも二ヶ月と続いたものがない。

中村古峡『変態性格雑考』文芸資料研究会

 松文館のマンガが警察に摘発され、出版メディアにおける表現と規制の問題がにわかに急を告げる気配ですが(編注:松文館事件。9月26日摘発、10月 22日起訴)、その昔の日本は、内務省警保局とゆうところが 日本中のあらゆる書物を検閲しておりました。そして今日となっては阿呆らしいほど些細な理由で、「発禁」という処分を下していたのでした。そんな時代で あっても、体を張ってあやしい本を作っていた男たちがおりました。詳しい経緯を記す紙幅はありませんが、昭和初期にエロ本出版で名を馳せた梅原北明という 男がおりました。彼が主宰していたのが「文芸資料研究会」なのですが、そこが「変態〜」と冠したシリーズを世に送り出しておりました。また連載14回で紹 介した『ファニー・ヒ ル』の完訳を出してある層の読者から熱烈な支持を受けていたそうです。
 本書はその「変態〜」シリーズの一冊らしいです。奥付けに昭和三年六月二十五日発行とあるところから、警察の手入れを受けて文芸資料研究会が分裂した 後、北明と袂を分かった一派が出していたものらしいです。ちなみに本書は内務省に納本済みで発禁ではありません。だからあんまり価も高くなかったので、話 の種に古本屋で買い込んだ次第であります。和綴じでなかなか風情ある装丁です(なお原文の旧漢字は修正しました)。
 引用部ですが、潔癖症というのは今日でも見られるのでそれはまあともかく、家が三室しかないサラリーマンでも、ホワイトカラーであるからには女中を雇っ ていたのですね。そんな家に夫婦二人と子供五人と女中一名と・・・。英国同様、女中を雇うことは実用だけでなく社会的体面でもあったことを窺わせる挿話な の でした。
 ところで、上記の北明の話は全面的に城市郎『性の発禁本』河出文庫 に依拠していますが、ことのついでに同書の北明に関する章の末尾を引用しておきます。
 昭和七、八年には公然たる珍書出版はほとんど影を潜めてしまうのである。・・・
 小林多喜二の拷問死が昭和八年であった。“エロ出版”の滅亡もまた、長い戦争の泥沼への入口でもあったのだ。

(2002.10.6.)

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