今週の一冊 第50


今週の戦争犯罪

 フォーゲル中尉とベルゲル中尉には、ある豪商の家が割り当てられた。
 戸口のところで、美しい侍女が一人、この二人の将校を出迎えた。彼女は、この国特有の服装をしていた。きれいな上衣を着て、その上にマントに似た服をは おり絹の帯を締めていた。上衣の下からは、張り切った乳房がはっきり形をみせていた。
(中略)
「お前、なぜあの女を放してやったんだ?」
 と、不機嫌にフォーゲルがたずねた。
「お前は、あの女が言おうとした意味がわからなかったのかい! この邸の女主人があの侍女にやきもちを焼いているんだとさ」

ウィルヘルム・マイテル(城市郎監修)『バルカン・ クリーゲ』河出文庫

 「二十世紀随一の艶書」とか評される書物です。20世紀初頭のバルカン戦争(第1次:1912〜13、第2次:1913)を背景に、戦争で男が出征した 後に残された女達が愛欲に耽り、そこに敵軍が攻め込んで来てやりたい放題やりまくったり、「戦争によって理性を失い、本能の命ずるままに行動する人間獣が 引き起こす惨虐と淫逸を赤裸々に描」いたものであります。先週の本稿に出てきた梅原北明は、1927年10月ドイツ出版と伝えられる本書を逸早く日本で出 版し、読者からの名声と当局からの刑罰をかちえました。河出文庫版はそれに基づいて再版されたものです。
 でもって、本書は旦那が出征した貴婦人が悦楽に身を任す話が多いのですが、多くの場合そこに美人の侍女も登場して一緒に(松文館の件があったので以下自 粛)。侍女はその家の体面上、見目麗しきものが選ばれることが多かったそうで、そうなると時に女主人の嫉妬を買うこともあったかもしれません。一方で女主 人を攻略するために先ず侍女を狙うというパターンもあります。スタンダールと違って攻略するには(以下自粛)。しかして戦争が舞台なので、惨虐な挿話も多 々あります。
 ところで、『クリーゲ』とはドイツ語で「戦争」のことで、本書は普通『バルカン戦争』という題で知られています。北明はじめ、戦前の日本でもたびたび果 敢にも出版され、当局の前に討死にしてきたのですが、時々その貴重な戦前製『バルカン戦争』が相応の値で古書店に登場することがあるそうです。すると、こ のことを全く知らない戦史ファンが古書店の目録で本書を見つけ、戦前の出版とは、すわこれは陸軍関係者が刊行した貴重なバルカン戦争の戦史ではないか? と勘違いして注文し、現物を見てあぼーん、ということがあったとかなかったとか。

(2002.10.12.)

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