今週の一冊 第71


今週の転職

 売春の原因に関しては、(その大半がフェミニストではないにせよ女性の歴史家たちに よって 行われている)近年の議論の傾向は、社会的必要悪、すなわち「生き延びるための戦略」としての売春を強調するものになっている。女性たちは貧困のゆえに短 期間売春を行わざるをえなかった、というのである。(中略)しかしこれが解答のすべてでないことは明らかである。
 ハヴロック・エリスが指摘したように、売春婦たちの多くは「経済的不安から最も自由な労働者の一団」、すなわち家事労働者の出身だった。実際、異なった いくつかの調査が、売春婦のうち四〇ないし五〇パーセントまでもが使用人階級から集められていたことを示している。したがって、経済的必要が最も根本的な 原因だったということはありそうもない。(中略)想像上の華やかで愉楽に満ちた生活のために、単調さと骨折り仕事を意図的に拒絶するという選択は、おそら く売春婦のうち三分の一にとっては、主要な要因でありえただろう。

ロナルド・ハイアム(本田毅彦訳)『セクシュアリ ティの帝国 近代イギリスの性と社会』柏書房パルマケイア叢書9

 大英帝国において、性的な活動ということがどのような意味を持っていたのかを研究した一書です。主たるテーマは帝国に置かれているので、植民地において 様々な人種に対して、英国人がどのように性的な行動をしたのかということに関する記述がもっとも充実していますが、引用部は「出発地」としてのイギリス社 会を解説した章からです。英国の売春婦では、前職は家事労働者、要はメイドさんが最大のものだった、そして転業の理由は決して貧困に帰してしまえるもので はなかった、ということですね。
 もっとも本書の他の箇所における記述によりますと、かかる出自である英国売春婦のレベル(容姿とかテクとか)は、世界最低水準との評価が同時代の英国人 男性によって下されていたそうであります。そんでもって、栄えある第一位はどうやら日本だそうです。ああ、偉大なるかな吉原。
 とはいえこんな話は浩瀚な本書の内容のごく皮相に過ぎません。筆者が本書でもっとも重要な指摘と思ったのは(それは訳者も指摘していることですが)、 19世紀後半の英国における社会浄化運動によって厳格になった性的規範が、他の非ヨーロッパ諸国に文明の基準であるかのように受取られてしまったこと(そ のような性的規範の峻厳化を先頭切って行ったのは日本といえるのですが)、そしてそれは、実は誰をも幸せにすることがなかったのではないか、この規範に よって抑圧された人間性を回復することがこれからなすべきことではないか、ということが本書の結論となっています。
 いろいろ触発されるところの多い本ですが、それだけに多少は世界史やジェンダー論などをかじってから取り組むべき本といえるでしょう。

(2003.6.28.)

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