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今週の一冊 第78


今週の古典

 すべて、男(おのこ)をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。「浄土寺前関白殿 は、 幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞(おんことば)などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣(やましなのさだいじん) 殿は、「あやしの下女(しもをんな)の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文(えもん)も冠(かむ り)も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

兼好法師(西尾実・安良岡康作校注)『新訂 徒然 草』岩波文庫

 学校教育で英語を教える時は簡単な文から始まって段々高度なものへ進むわけですが、古文やる時はなぜか初手から平安時代のを読ませたりするから引く人 が出るのではないかと思うことがあります。まずは明治大正の文語文からはじめて、江戸時代をやって中世・上古へ溯れば、まだ慣れやすいんじゃないかと。ち なみに、ミリオタは軍人の書いた文語文に触れているので、古文には割と強いんじゃないかと思います。
 閑話休題、というわけで徒然草です。皆さんご存知でしょうから原典の説明省略。引用部は百七段の兼好の女性論からです。「あやしの下女」であっても(む しろであるからこそ)、その視線を感じて身形を整えねばならないのであります。受験古文的には、「見奉る」の敬語が誰に対する敬意なのかを問う問題が出そ うですね(自敬表現)。
 さて、身分というやつは相互的な関係にあるものですから、上の身分にある者は下の身分の者の視線を意識して、それにふさわしい行動をしなければならない という社会的制約が課されるのであります。つまり、主人が一方的に下女を使い、教え導く(先週参照)のではなく、使用人の存在によって主人が主人たらしめ られている面が存在するというわけです。それは身分というものが存在すれば、時代や地域を越えた普遍的なものといえるでしょう。
 え、現代語訳? 自分で考えて下さい(笑)参考までに、「おほしたつ」は「養育する」、「あやし」は「身分の低い」、「恥づかし」は「きまりがわるい」、「ひきつくろふ」 は「身なりを整える」という意味です。

(2003.9.18.)

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