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今週の一冊 第80


今週の19世紀(コスカ11号店参加・連載80回記念&間が開いたお詫び超特大 号)

理想的な中産階級の住宅は、もはや、市街の一部をなす「都市住宅」もしくはその代用物大 通り に面した宮殿まがいの大きなビルのアパートには見られなくなり、緑の木々に囲まれた小公園の中の、都市化された、あるいはむしろ、近郊化されたカント リー・ハウス(「別荘風住宅=ヴィラ」あるいは「山荘=コテイジ」)となった。それは、非アングロ・サクソン系のほとんどの都市にはまだ当てはまらなかっ たが、非常に強力な生活面の理想となるはずのものだった。
 「別荘風住宅」は、そのモデルとなった貴族や郷紳階級の大邸宅とは、規模やコストがさほど大きくない(縮小できる)ことを別にしても、一つの重要な点で 異なっていた。社会的地位の向上のために努力するとか、社会的役割を演じるためではなく、むしろプライヴェートな生活に便利なように設計されていたのだ。 (中略)
 これは、伝統的な地方の大邸宅や城(シャトー)や、それに対抗したりそれを模倣したブルジョワ大資本家の邸宅(例えば、クルップ家のヴィラ・ヒューゲ ル、あるいは、毛織物業の町ハリファックスの煤けた生活を支配していたアクロイド家やクロスリー家のバンクフィールド邸宅やベル・ヴュなど)の機能とは正 反対だった。これらの住居は権力というエンジンを収める容れ物だった。それは支配的エリートの一員としての財力や威信を他の成員や自分たちより下の階級の 人々に誇示し、影響力と支配力を及ぼす職権を組織するために設計されていた。オムニアム公爵の邸宅では幾組ものの組閣が行われたのであり、他方、クロス リー・カーペット社のジョン・クロスリーは、少なくとも五〇歳の誕生日に、ハリファックス・バラ地方議会の四九人の同僚を湖水地方の別荘に三日間招待し、 ハリファックス・タウン・ホールの落成式を機に英国皇太子をもてなしたりした。そうした大邸宅では、プライヴェートな生活と、公認された、いわば外交的・ 政治的な機能を持つ公的生活とを切り離すことはできなかった。こうした公的生活の必要は家庭の安らぎに優先した。古代神話の諸場面が描かれた壮大な階段 や、彩色の施された大宴会場、大食堂、図書室、九つ揃いの客室、さらには二五人の召使い用に設計された使用人別棟ですら、アクロイド家の人々が何よりもま ず家族のために建てたとは誰も思わないだろう。

E・J・ホブズボーム(野口建彦・長尾史郎・野口照 子訳)『帝国の時代 1875-1914』みすず書房

 メイドさんの主たる活躍の時代とされる19世紀について、その全貌を知りたいというときにどんな本を読めばいいかというのにはいろいろな候補があるで しょうがの筆頭に上げられるのはこのホブズボームの19世紀三部作『革命の時代』(邦題:『市民革命と産業革命』)『資本の時代』『帝国の時代』では ないでしょうか。ホブズボームは1917年に生まれた英国の歴史家ですが、英国のみならず20世紀の世界を代表する歴史家の一人です。『創られた伝統』 『ナショナリズムの歴史と現在』など邦訳も数多あり、近年も執筆活動は衰えずご健在であるようです。
 19世紀については、よく「長い19世紀」という、フランス革命から第1次大戦、ロシア革命までを一つの時代と捉えることがなされます。ホブズボームは この長い19世紀を三つに分かち、1848年革命の時代までを市民革命と産業革命を経て自由主義を信奉するブルジョアジーが台頭する時代、75年の不況期 までを自由主義による資本主義の全盛期、それから大戦に至る時期を資本主義の矛盾の蓄積によるブルジョワ資本主義の崩壊として描いています。本書の特徴 は、政治や経済にとどまらない、さまざまな社会の様相を多面的に描いているところにあり、決して専門家向けに限られた本ではありません。もっとも、優れた 通史や概説を書くのは、微に入り細を穿った研究よりも難しいところがあるのかもしれませんが。
 さて、今回は三部作のどこから引用するか考えた結果、やはり「メイドさん」イメージの元は末期ヴィクトリア朝であり、メイドさんイベントも「帝国メイド 倶楽部」だし(笑)、ということで、『帝国の時代』を選びました。引用部は、この19世紀末のブルジョワジーの生活について述べた箇所です。初期の資本主 義を担った企業は、例えばドイツのクルップのように家族経営であり(ちなみにヴィラ・ヒューゲルの写真は連載第7回の『クルップの歴史』に 載っていま す)、かつての貴族同様に家庭生活と公的な生活が一体化していたのですが、次第に経営が専門化するにつれ株式会社化して家族経営的色彩が薄れてゆきます。 そしてそれと(おそらくは)軌を一にして、家庭を公的な生活と分離されたプライヴェートな、神聖な世界とみなす近代家族の発想が根付いてゆくのです。
 メイドさんは中産階級とそれ以下を分ける指標として雇用されたといいますが、貴族や旧型大ブルジョワの場合とこの19世紀末の中産階級の場合とでは、公 的な生活と家庭が一体化している前者と分離された後者で 家庭というものへの認識が異なっており、ひいてはそこでのメイドさんの位置付けにも違いが生じていた といえるでしょう。ではどちらの存在様式のほうがより重要視されるべきであるかというと、筆者は後者――すなわちこの引用部に示されているような中産階級 のそれと考えます。なぜならば、今現在の我々の生活は、公的社会的な役割すなわち仕事と家庭が一体化している場合よりも、職住分離の生活形態に見られるよ うに、両者が画然と区別された生活様式が一般的だからです。近代以前では境界線は多くの場合曖昧でありましたが、この時代にその区別が形成され、いわゆる 近代家族が成 立し、主婦という公的生活から排除され家庭生活を専門に担う存在が誕生して、ついにはメイドさんの居場所はなくなってしまったのでした。だから、世界 中あらゆる時代に見られた家事使用人の中での独自の意味が、この後期ヴィクトリア朝のメイドさんにはあるといえるでしょう。仕事と家庭が分離する近代家族 と家事使用人が同時に存在していた移行期の事例だからです。
 今の日本でメイドさんを雇う方法を研究される向きは、貴族のカントリーハウスよりも中産階級に注目するべきでしょう。現代の我々の直系の先祖はそちらだ からです。 それだけに、現在の日本のオタク文化におけるメイドさんが出てくるお屋敷ものは、中産階級の(そして現在の我々の)近代家族概念と、貴族の前近代的使用人 雇用形態が混在しているところに、面白さを生み出す源があるといえるでしょう。このギャップを埋めるために、サブカルチャーは「奉仕」の概念を発見したの です。
 さて、理屈をこねるのはこの辺にして、この三部作は第一部が岩波書店から邦訳が出版され、第二部と第三部はみすず書房から各々2巻本として訳されていま す。そしてみすず書房のそれは、ちょうど先月、2003年10月に「基本図書限定復刻」と銘打って再版され、目下書店の店頭で入手できます。19世紀を語 りたい向きはぜひ入手しましょう。ちなみにお値段は『資本の時代』が各巻4600円、『帝国の時代』が4800円、全部買ったらしめて18800円(税 別)です。なあに、限定は限定でも初回限定特典付美少女ゲーム二本分と考えれば安いものであります。
 せっかくですので、『資本の時代』からも引用しておきましょう。
もし一九世紀の労働者の生活を支配していた要因をただ一つだけあげるとすれば、それは不安定性であった。労働者は週のはじめに、週末に家庭にどれだけの賃 金を持って帰れるかを知りえなかった。(中略)
 自由主義の世界にとって、不安定性は、進歩と自由の双方に対する、そして言うまでもなく富に対する対価であった。(中略)安定性は(少なくとも時には) ――自由な男女の場合ではないが――英語の表現が明確に示しているようにその自由が厳しく制限されている「サーヴァント」、つまり家内使用人(ドメス ティック・サーヴァント)、「鉄道従業員(レイルウェイ・サーヴァント)」、そして「公僕(シヴィル・サーヴァント)」(公務員)にとってさえ、対価を支 払って得られたものであった。実際には、サーヴァントのうちの最大の部分を占める都市の家内使用人は、伝統的な貴族やジェントリの恩顧をこうむった家臣の 享受していた安定性にあずかることなく、つねに最悪の不安定性にさらされていた。保証状なしで、つまりそれまでの主人(多くの場合、女主人)から将来の雇 主に対する推薦状を与えられることなく即時解雇される危険にさらされていたのである。れっきとしたブルジョワの世界もまた基本的には不安定であった。
 今までにも書いたことですし、今週開催のコスカのカタログを見ても推察されることですが、メイド趣味の人は(オタク全般がそうだともいえますが)鉄道趣 味やミリタリ方面も兼業している人が多いです(筆者含む)。ひょっとしてこの引用部の指摘は、その理由に大きな示唆を与えてくれるものではないでしょう か?(公僕に軍人が含まれていることは引用部の前を読めば明らかなのです)それを別にしても、やはり併せて読むことで得るところは多いこと間違いなしで す。なお、それぞれの一巻巻頭の口絵には、メイドさんの写真が掲載されております。

(2003.11.9.)

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