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今週の一冊 第81


今週のサディズム

 一七七四年の十一月、サド夫妻はリヨンで落ち合ってラ・コストに帰る際、同地で五人の 娘と 一人の少年を雇い入れて、領地の城へ連れてきた。娘たちは女中として、少年は秘書として使うつもりであった。あれほど財政が逼迫しているのに新たな召使を 殖やすとは、解せない話のようにも思われるが、吝嗇のくせに経済観念のまるきり欠けているところに、サド家の遺伝ともいうべき浪費癖があったのであろう。 当時、侯爵の軍人としての収入は寄託に付され、ルネ夫人(注:サド侯爵の妻)は銀器を質に入れたりして家計の足しにしていた。モントルイユ夫人(注:サド 侯爵の義母)にも、たびたび無心の手紙を出している。
 そんな状態のところに、新たに五人の若い女中を雇い入れた侯爵の真意は、どこにあったのか。もちろん、あのアルクイユやマルセイユの饗宴をふたたび繰り 返すためにほかならない。厚い壁にさえぎられた一七七四年の降誕祭の夜は、そのまま淫靡な魔宴(サバト)の夜に一変したことでもあろう。女中たちはいずれ も十五歳前後の若さであった。当時ようやく三十四歳になっていたルネ夫人も、この乱痴気さわぎに進んで加わったと信ずべきふしがある。何事によらず夫の意 のままに服従するのが彼女の信条であった。カーテンを張りめぐらした城中の奥深い密室で、暖炉の火に照り映える蒼白い裸体が、鞭打ったり鞭打たれたりする 光景をわたしたちは想像すれば足りる。

澁澤龍彦『サド侯爵の生涯』中公文庫
(注:「彦」の正確な字は出ないので通例の字で代用)

 昨今のメイドさんブームの起こりを考えますと、やはりお屋敷にメイドさん囲い込んでしばくという類の18禁ゲームに端を発したということになるんじゃな いかと思いますが(現下はそれへのアンチテーゼのほうがむしろ主流になっているようにも思われますが)、ではその類のイメージの源流はいずこにありしや、 と考えると、やはりサディズムの語源・サド侯爵は外せない重要人物でありましょう。
 サドという人は18世紀後半からフランス革命を経て19世紀初頭まで生きていた人で、その存命中から半ば伝説的存在となり、彼についての怪しげなエピ ソードやイメージが横行していたのですが、アポリネールらにより再評価され、実証的な研究が行われるようになりました。今回の出典は、それを踏まえてかの 澁澤が今からおよそ四十年も前にものした、サド侯爵の評伝です。サド侯爵は若い頃に引用部はじめ様々な乱行をし、また他にも女中に手をつけて認知で揉めた りしたようですが、そのような振舞を忌まれて投獄されてしまいます。しかし、本書で澁澤が論じるところでは、サドの本領はここで開花したのである、彼は投 獄されたことで精神の主体性を獲得したのだとしています。サドはそういった行為の実践者としてではなく、文学者として偉大なのです。
 さて、ここに端を発するサディズムが、時代が下り受容されるにつれて薄められ俗化していくことは当然であったとしても、こと現在のメイドネタの場合、き わめて短期にサディズム的表象からブルジョワ道徳的表象(つまり、「えっちなのはいけないと思います」)に転向していったのは、無神論者でおのが理性に 従って既存の道徳に反抗したサド侯爵が、いったんは革命で釈放されながら、革命政府やナポレオンの統治下で再び捕囚の身となったことと重なって、まことに 面白い現象であります。

(2003.11.15.)

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