今週の一冊 第89


今週の長編小説(第8クール開始記念引用極めて甚だしく長め号)

私は母に伝言を書き、手紙ではいえないたいせつなことがあるからあがってきてほしい、と たの んだ。私がおそれたのは、叔母の料理女をしていて私がコンブレーにいるあいだは私のせわをすることになっているフランソワーズが、私の伝言をもってゆくの をことわりはしないかということであった。フランソワーズにとって、客があるとき母に用事をつたえるのは、劇場の門衛が舞台に出ている俳優に手紙をわたす のとおなじように、不可能に見えるのではないかと私には思われた。この料理女は、やってもいいこととやってはいけないこととに関して、不可解とも無用とも いえる区別を設けた、尊大で豊富な、精細で動かしがたい、一つの法典をもっていた(そのためにこの法典は、嬰児を虐殺せよとかいうような残忍な法令となら んで、仔山羊をその母乳で煮てはならぬとか、動物の腿の腱をたべてはならぬとかいったことを、過度な思いやりできめているあの古代の法律のような観を呈し ていた)。この法典は、私たちから言いつけられたある用事を、そのとたんどうしてもやりませんと言いだすその強情さから判断すると、フランソワーズの周囲 や、村から出てきた女中としての彼女の日常生活の、どんなものからも暗示されなかった諸項目、社会の複雑さや社交上の洗練にわたる諸項目を、ぬかりなく規 定してあったように思われた。そして誰もが、彼女のなかには、非常に古い、高貴な、理解されることのすくない、そんなフランスの一つの過去があると思わな いではいられなかった、あたかも工業都市のなかに、かつて宮廷生活がくりひろげられた跡であることを示す古い館があり、いまは化学製品工場の労働者たち が、聖テオフィルの奇蹟とか、エーモンの四人の息子たちとかをあらわす繊細な彫刻が残されているそのなかで、仕事に従事しているようなものであった。今夜 のような特別なケースでは、法典としてはもちろん私のような子供のためにスワン氏のいるまえでフランソワーズがママの邪魔をしに行くことは火事の場合でな いかぎりはほとんどゆるされる見込はなかったが、条文としてうたわれていたものは、単にフランソワーズが家の人たちにはらう尊敬――死者や司祭や王にたい するものとおなじような尊敬――だけでなく、また一家が手厚くむかえるよその人たちにたいする彼女の尊敬にもおよんでいたのであって、そんな尊敬は、私と しては本のなかで読めば感動したかもしれないが、彼女の口からきくと、それを話すためにわざと重々しい、感動した調子になるので、いつも私はいらいらした もので、それに今夜のような特別な場合は、彼女が晩餐に神聖な性質をおびさせていたから、そんな儀式を乱すのを彼女が拒む結果になるだろうと思われ、ます ます私はいらいらした。しかし、自分に都合のいいように、私はうそをいうことをためらわなかった、そしてすぐさまフランソワーズにこういった、ママに手紙 を書こうと思ったのはけっして私ではない、私とわかれるとき、私にたのんださがし物のことで返事を忘れないようにと念をおしたのはママなのだ、だから、こ の伝言をわたさなかったらママはきっとひどく怒るだろう、と。フランソワーズは私のいったことを信じなかった、といまの私は思う、なぜなら、現代のわれわ れよりもずっと強い感覚をもっていた原始人のように、彼女はわれわれにとらえることができない徴候から、われわれが彼女にかくそうと思っているどんな真実 でも、たちまち見ぬいてしまったからである。彼女は五分間ほど封筒をながめた、あたかも、紙の検討と書体の外見だけで、内容の性質が判明してくる、それと も彼女の法典の第何条を参照すべきかがわかってくる、とでもいうように。ついで彼女は、こんな意味が読みとれるようなあきらめ顔で、出ていった、「なんて なさけないこった、親御さんにとって、こんな子供をもつなんて!」

マルセル・プルースト(井上究一郎訳)『失われた時 を求めて』ちくま文庫

 たとえば夜眠るまえのひとときなど、あるいはぼんやりと暇つぶしに新聞を読んだりネットを見ているようなとき、頭のなかで思ったあるひとつのことから、 連想してうかんだ別のことへと思いがながれてゆき、ある記憶がひきだされてはっとなるようなことは、よくあることと思いますが、今回引用しましたプルース トの名前だけは有名な『失われた時を求めて』、そのあまりの長さに読了したものはきわめて少なく、筆者もむろん読了したわけではありませんが、こうやって じっくりと、とはいっても文庫本で僅々二ページ余りですが、筆写してみますと、やはり引き込まれるものはあるわけですが、しかしまた最初にこの本の原稿を 送られた出版社の反応が、「ひとりの紳士が眠りにつくまで、ベッドの中でどんなふうに寝返りを打ち続けるかを書くのに30ページも費やすことができると は、私には理解しがたいことです」というのもまたむりからぬ気もするわけでして、とにかく20世紀最大の小説といわれる本書を論評するなど筆者の手に余る ことですし、どだい要約はもちろん引用することとて容易ではないほどでして、引用部からフランスのブルジョワジー階層と使用人階層の文化的断絶を読みとっ て云々などと理屈をこねるのも、ことこの作品に関しては、枝葉末節にこだわるつまらぬいとなみに思えてくるものですから、ここで筆を擱くということにさせ ていただくのであります。

※今回の引用元…http://www.se-inst.com/tox/index.html

(2004.1.26.)

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