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今週の一冊 第100


今週の国際問題(連載終了記念特大号)

「無礼と思われたら困るんだが、もしかしたら、あなたはどこかのお屋敷の召使ということ はありませんか?」
 この言葉を聞いたとき、私がまず感じたのは圧倒的な解放感だったことを告白せねばなりません。
「さようでございます。私はオックスフォード近くのダーリントン・ホールで執事をしております」
「そうじゃないかと思った。ほら、ウィンストン・チャーチルに会った、誰に会ったという件ね? 考えたんですよ。こいつは大嘘つきか、それとも……。そし て、はっと思い当たった。なんだ、簡単に説明がつくことじゃないか、ってね」

カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『日の名残り』中央 公論社

 これまで様々な書物を紹介してとうとう百冊目になった当ブックコレクションでは、主としてメイドさん関連の書物を扱ってきたわけですが、筆者の興味関心 はヴィクトリア朝英国などのメイドさんの実態そのものもさることながら、何故にそれが一世紀の時を経て、日本のオタク文化に一定の地位を占めるようになっ たか、ということに次第に傾いてきました。ヴィクトリア朝英国から日本は秋葉原に至る旅路を辿ってみようというわけですが、かような連載に一区切りつける に当たって、日本に生まれて英国に移住した作家、カズオ・イシグロの作品を取り上げるのもまた一興でしょう。
 というわけで今回のお題は、執事を主人公にしたカズオ・イシグロのブッカー賞受賞作『日の名残り』です。映画化もされて好評だったようで、アカデミー賞 では『シンドラーのリスト』『ピアノ・レッスン』なんぞと運悪く鉢合わせしたため、8部門にもノミネートされながら無冠に終わったそうですが、残念ながら 筆者は見たことがありません。貴族の邸宅における使用人の姿を垣間見るには映画のほうがいいようで、メイド趣味者でこの映画を評価される方も多いようで す。(編注:2006年1月、酒井シズエ翁主催 の座談会へお招きに預かった折、会場の北庭さん宅で一部を見る機会に恵まれま した。その折の感想はブログに)
 お話はといいますと、時は1956年、ダーリントン・ホールの執事スティーブンスは雇い主のアメリカ人が帰国している間を利用して短い旅に出ます。ダー リントン・ホールのかつての所有者でスティーブンスが長年仕えていたダーリントン卿は既になく、邸はアメリカ人の所有に帰しています。スティーブンスが旅 に出たのは、かつてダーリントン・ホールの女中頭だったミス・ケントンからの手紙が一つの理由でした。ミス・ケントンと再会し、うまく行けばまた彼女に邸 で働いてもらえるかもしれない。かくして旅に出たスティーブンスは、道すがら様々な人々と交流しつつ、過ぎ去った日々の思い出、やはり執事であった父のこ と、ダーリントン・ホールで催された外交会議、そして女中頭への想いとすれ違いなどの回想が語られてゆきます。
 さて、この物語について語るとなると、執事と女中頭の淡く切ない感情であるとか、スティーブンスの語る執事の品格論とかを扱うのが王道というものでしょ うが、筆者としてはリッベントロップやモーズレーやラバルという名前を見るとやはり歴史的方面に関心が向きがちで(って三人ともファシズム関係者…)、そ ういえば以前「Lepruchaun1/2」の 悠々さんも歴史的背景を知ればもっと『日の名残り』を楽しめるかもしれないと仰っておられたことがありまして、ちなみに「日の名残り メイド」でぐぐると 悠々さんとこが一番上に来るので(編注:執筆当時のこと。残念ながら現在は違います)、敬意を表して政治ネタを思いつくまま書き綴ってみましょう。
 J・サザーランド(川口喬一訳)『現 代小説38の謎』みすず書房 では、「なぜスティーヴンズはスエズ危機を聞いたことがないのか?」と題して(執事の 名前のカナ表記が違うのはそのまま)、ちょうどスティーブンスが旅に出ていた時期はエジプトのナセルがスエズ運河国有化を宣言した一月ばかり後に当たると いうのに、なぜスティーブンスは村人との会話などでそういったことに触れないのか、と論じています。(編注:映画版ではちょこっと出ました)サザーランド の説くところでは、これは作者の故意にし たことであり、ダーリントン卿の失敗に終わったナチスとの宥和政策のアイロニーであるといいます。当時の英首相イーデン(1897〜1977、村人の台詞 で「あれはなかなかまともな人じゃなかろうか」と出てくることに注意すべきでしょう)はナセルをヒトラー呼ばわりし、フランスと組んで、さらにイスラエル を引っ張り込んで、エジプトに対し軍事行動に出ます(10月29日イスラエル軍侵攻、第2次中東戦争)。しかしこれは世論の批判を受け、国際的にも米ソの 支持が得られず、結局イーデン首相は翌57年1月辞任します。ダーリントン卿の場合は誤っていた宥和的話し合い政策が、スエズ危機の場合は武力行使よりも 妥当な方策であったのでした。こうして、ダーリントン・ホールで展開されたような世界は終焉を迎えたのだとサザーランドは評しています。
 実際、『日の名残り』を慎重に読むと、イーデンがダーリントン・ホールに来ていることは間違いないようです。四日目午後の回想シーンで語られる、リッベ ントロップ訪問とそれを探りに来るレジナルド、そしてミス・レントンが求婚を受け入れた夜のエピソードでは、「イギリスの首相と外相」がリッベントロップ と密談していることをレジナルドが口に出します。このとき「われわれの新しい国王」が親ナチであるというのですから、この国王とは1936年1月に即位 し、年末にはシンプソン夫人との恋愛問題で王位を退いたエドワード8世のことでしょう(実際、思想的にも話は合うし)。そして1936年当時の英首相は保 守党のボールドウィンで、外相が前年末に就任したばかりのイーデンなのでした。実は本書の隠れたキーパーソンは、アントニー・イーデンだったのかもしれま せん(笑)。
 ついでに書けば、イーデンは38年初頭に対イタリア政策を巡って首相チェンバレン(37年5月就任)と対立し辞任、後任はダーリントン・ホールにこれま たリッベントロップとの密談にやってきて、スティーブンスの磨いた銀器の輝きの見事さに目が眩んでしまった? ハリファックス卿(1881〜1959、 Edward Frederick Lindly Wood 初代ハリファックス伯爵、父親は第2代ハリファックス子爵、母親は第11代デヴォン伯爵の一人娘)でした。 チェンバレン首相とハリファックス外相のコンビ は、1938年のミュンヘン会談でヒトラーに対し宥和政策を取ってチェコスロバキアのドイツ人居住地域のドイツ併合を認め、調子付いたヒトラーは翌年チェ コを併合しスロバキアを保護国化した挙句、ポーランドへ侵攻して第2次世界大戦となってしまったのでした。その後チェンバレンが退陣してチャーチルが首相 となり(40年5月)、イーデンも外相に復帰して(同年12月)、英国は第2次大戦を戦い抜くことになります。
 とまあ、サザーランドの本から触発される点は多いのですが、実はこの『現代小説38の謎』も結構いい加減なところがあって、ダーリントン卿を「一九四六 年に死亡」とか推測していますが、『日の名残り』の中でダーリントン卿の死は三年前、つまり1953年と書いてあり、これには読者も訳者も気がつかなかっ たのでしょうか。
 さて、多少は使用人関係のことも書いてみましょう。スティーブンスの仕事上の回想では、ダーリントン・ホールで展開された国際会議をはじめとした来客を 如何にもてなすかという話がほとんどです。勿論、日々の地味な家政の切り盛りは、わざわざ回想するに及ばないということもあるのでしょうが、ダーリントン 卿の家族や日常、個人的生活といった面が全くといっていいほど登場しないのは、注目してもいいことだと思います。これは連載第80回で述べ たことの繰り返 しですが、ダーリントン・ホールの世界とは「プライヴェートな生活と、公認された、いわば外交的・政治的な機能を持つ公的生活とを切り離すことはできな」 かった世界だったわけです。一方、家庭と公的生活を分離した世界(すなわち現在)では、公的生活は専門技能の持ち主によって担われ、重要な決定はお屋敷で はなくオフィスで下されます(「家柄」「財力」といったパラメータで公的生活の能力を測らなくなるのです)。19世紀末以降の社会を「プロフェッションの 社会」とみなす見解は、歴史学の世界で一定の支持を受けています。この視点から言えば、ダーリントン・ホールで1923年に開かれた国際会議での、アメリ カ上院議員ルーイスの演説「ヨーロッパがいま必要としているものは専門家なのです、皆さん。大問題を手際よく処理してくれるプロこそが必要なのです」とい う発言は全く正しく、ダーリントン卿以下の人々が時代に取り残されつつある存在とみなせるでしょう。
 ここで一つの論点が浮かびます。執事のスティーブンスは「プロ」「専門家」でしょうか? ネットの感想などではスティーブンスの「プロ意識」に感動し た、と書いておられる方を散見しましたが、「プロ」「専門家」の意味を19世紀末以降の歴史に照らして限定すれば、スティーブンスは、つまり執事は、ひい ては家事使用人という人たちは、専門家ではないでしょう。それを示唆するのが、スティーブンスの執事論であり、本書中に出てくる執事の団体「ヘイズ協会」 の入会資格ではないかと思われるのです。彼らが価値を置く品格とは、結局は雇い主の存在に依存したものであり、自立したものとは言いがたいからです。「ス ティーブンスが信じてゐた執事としての美徳とは、実は彼を恋ひ慕つてゐた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する。そ してこの残酷な自己省察は、彼が忠誠を献げたダーリントン卿とは、戦後、対独協力者として葬り去られる程度の人物にすぎなかつた、といふ認識と重なりあ ふ」という丸谷才一氏の書評は、筆者も大いに納得したところでした。
 肝腎なことを無視して枝葉末節に迷い込み、散々彷徨った挙句、随分長話になってしまいました。最初の課題「何故メイドものが流行ったか」には結局手がつ きませんでしたが、また日を改めてつらつら考えてみたいと思います。結局、こうやって本を読んで理屈を捏ね回しているのが、一番楽しいのかもしれません。

※今回の参考文献
J.サザーランド『現代小説38の謎』みすず書房
E.H.ホブズボーム『帝国の時代』みすず書房
川北稔『イギリス 繁栄のあとさき』ダイヤモンド社
秦郁彦編『世界諸国の制度・組織・人事』東京大学出版会
日外アソシエーツ編集部編『20世紀西洋人名事典』紀伊國屋書店
"The dictionary of national biography" Oxford University Press の各巻
丸谷才一「旅の終わり」(『日の名残り』ハヤカワepi文庫版解説)

(2004.7.26.)

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