今週の一冊 第97


今週のエマ

 ルーシーからマリアンに宛てられた一通の陽気な手紙は、ヘンリーと共同経営者たちがバーチン・レインにめでたく就任し、身内の女性たちを歓待する模様を描いている。

 私たちは銀行で楽しい一日を過ごしました。出席していた共同経営者たちは、欠席の人たちの分を埋め合わせようとできるだけのことをしてくれました。私たちが到着したとき、ミセス・C・ウィリアムズと二人の子どもを連れたハリエット(ジョン・メルヴィルの妻)がそこにいましたわ。ハリエットは大いに愉快に過ごしていました……二階の部屋はとても涼しくて、さわやかでしたので、馬車に乗ってきたあとでは気持ちよくかんじましたの。昼餐はハローでの昼餐に似ていて、ただとてもきちんとしていて、紳士風で、アイスクリームの評判がよろしかったのです。給仕をする男の召使はいませんでしたが、メイドたちが料理を部屋に運び、ヘンリーとチャールズ・ウィリアムズが肉を切り分け、話をし、スプーンやアイスクリームやお皿などを客のところに運びました。メルヴィルがテーブルの一方のはじに座りました。C・ウィリアムズはラブシェアがいないことを十分ごとに残念がり、彼の留守中にこの昼食会が催されたことに、ラブシェアは 腹を立てるだろうと言いました。ハリエットはメイドたちが戸口にあらわれると、そのドレスを見つめたり、笑ったり、テーブル越しにささやいたり――共同経営者たちの誰かがメイドたちにキャップに飾りをつけるように命じたのか、と不思議がったりしていました。メイドたちはとても器量よしでたの。ハリエットはまた、私たちの到着前にメイドの一人がトイレの場所を教えてくれようとした、と言い、メイドが自分で考えてそうしたのかしら、と言っていました。まさにハリエット・メルヴィルといったところです。それから私たちは建物を見てまわり、耐火地下室などを見ました。ヘンリーは私たちといっしょにロンドン大火の記念円柱を見にいきましたが、私は『エマ』(ジェイン・オースティンの小説。一八一六年出版)を持ってきていましたので、それを読みながら馬車の中に座っていました。みんなはてっぺんまで登りましたわ。

銀行はこういった盛衰を経たが、もとの場所でいまなお栄えている。イースト・セントラル三区、バーチン・レイン二〇番地のウィリアムズ・ディーコン銀行だ。

E.M.フォースター(川本静子・岡村直美訳)『ある家族の伝記 マリアン・ソーントン伝』みすず書房


 英国の著名な作家(だそうな)E.M.フォースター最晩年の作品(1956)です。本書はフォースターの大伯母であるマリアン・ソーントン (1797〜1887)の伝記であり、そしてまた表題のように、彼女を通じてみた一族、ひいては19世紀英国の上流ブルジョワジーの姿を、引用部のように彼女らが残した書簡を多く使いつつ描いた作品です。

 マリアンの人生はヴィクトリア朝の大部分と重なっており(ちなみに、彼女はヴィクトリア女王より20年ほど早く生まれ、10年余り早く世を去ったことになります)、本書は19世紀英国社会史としても読むことができます。ソーントン家は銀行を経営していた裕福な家で、またクラッパム派と呼ばれる福音派のグループの知識人との交流も深く、本書にも多くの文化人の名が出てきます。マコーレー、ハナ・モア、多分一番著名なのはダーウィンでしょうか。とまれ、19世紀上流ブルジョワジーの宗教感情も垣間見ることができますが、その中でのマリアンの寛容で理知的な振る舞いは、読むものに深い印象を残します。

 本書には他には第3部である「伯母時代」の2章に、教育事業にマリアンがどのように取り組んだかが描かれており、その中にも使用人に関する記述が多く見えます。マリアンが教育事業に打ち込んだのは、18世紀生まれらしい啓蒙主義、というか知識と理性への信念があったためですが、同時に彼女は社会秩序の永続を信じていたので、身分相応の教育を進めることで、自らの階級にとって有益な、優秀な召使いやガヴァネスを養成するという目的もあったということが述べられています。そして末尾の章には、作者フォースターが幼いころのマリアンとの思い出が描かれ、そこにもメイドさんが登場しますが、一番紙数が割かれているメイドの名は「エマ」だったりします。

 ところでフォースターの代表的作品『ハワーズ・エンド』は映画化されているそうですが、20世紀初頭の英国を舞台にしているそうで、メイドさんは出てく るのでしょうか。この映画は、アカデミー主演女優賞なんぞ獲っていますが、その女優さんの名はエマ・トンプソンでして、あの女中頭と執事の恋愛映画『日の名残り』の主演女優であり、このときはノミネートされたけどもらい損ねたんだそうです。

(2004.4.21.)

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